どうも、セツカです。
今日は曇り空、何やら台風が来ているとの予報もあり、忙しない天気だと感じるこの頃。
さて、今回の記事では、繊細なひとなら一度は感じたことがあるのではないかと思われる、「周りと違うことに対する不安」についてお話しできたらと思う。
よければ付き合ってみてほしい。
前回の記事はこちらからどうぞ。
1 、繊細なひとの割合
HSPの概念を提唱したアーロン博士によると、繊細なひとーいわゆるHSPの人の割合はおおよそ5人に1人という統計結果があるそうだ。*1
学校のクラスで考えるなら、仮に40人クラスだとして、割合だけで言うならそのうちの8人がHSPに当たると言う計算だ。
だが、これはあくまでも単純計算なため実際に出会う確率はもう少し低くなるのかもしれない、というのがボクの印象だ。
少なくとも学生時代のクラスメイトで、「あの子はHSPだったかもしれない」と思うような人は、ボクの中では思い当たらない。
仮に40人中8人がHSPだったとしても、残りの32人はそうではないわけで、どうしても「繊細なひと」は少数派になる。
2、 周りと違うと感じる学生時代
ボクは学生の頃、常に自分のことを「周りの子たちとはどこか違うな…」と漠然と感じていた。当時はHSPの存在を知らなかったため、周りの人たちが普通にできていることがうまくできなかったり、違和感を感じてしまうことがあると、自分に原因があるのだと、自責することが多かった。
以前の記事でも少し書いたが、ボクの父は怒ると怖くて堪らなかった。上手くできないことがあると叱られることもあり、その度にボクは「周りと違うことはいけないことなんだ」と思うようになっていった。
周りと違うと怒られる。怒られるのは怖くて嫌だから父を怒らせないようにしよう。
そうして人と話すときに、顔色を伺う癖がついてしまったのだと思う。
だが、当然それでは人と話すのが楽しくなるわけがない。
3 、人と話すのが怖かった
小学生の頃までは割と元気に色々なタイプの子たちと会話をしていた方だと思うのだが、中学、高校と年を重ねるにつれ、周りに気を使いすぎて、どんどん自分の考えを言えなくなっていった。
恐らく高校生の頃が、一番その傾向が強かったと思う。周りの人がどうというより、自分の考えが上手く言えなかったのがとても苦しかった。
楽しいことがなかったわけではないが、高校生の頃を振り返るのは今でも辛い。
だが、わざわざ苦しかったことを思い出す必要もないので、普段は思い出すことはない。
それよりも今のボクを大切にしたいからだ。
4、ボクを救ってくれたHSPという概念
周りと違うのはいけないこと。
人を怒らせないようにしよう。
過去の自分は常に心のどこかでずっとそう思っていた。
当時はこれが当たり前だと思っていたが、今にして思えば、かなり苦しい考えだったと思う。
今はそんなふうには思っていないので、過去の自分は苦しんでいたんだな…と思う程度だが、当時のボクには悩ましい問題だった。
そうして、高校を卒業するかどうかという頃に、ようやく「HSP」について書かれた本に出会うことができた。
その本との出会いが、長年抱えてきた深い悩みを溶かしていくきっかけになった。
その本のおかげで、ボクは「周りと違ってもいいんだ」と思えるようになった。
ただ、もう少し早くHSPについて知ることができていたら…とは考えてしまう。
たらればでしかないが、もう少し学校生活を楽しめていたのではないか、と思わなくもない。
とは言っても、過ぎ去ったものはどうにもならないので、過去苦しかった分、今が楽しめたらそれでいいのかなと思っている。
5、キミはキミのままでいい
長々とボクの過去の話も交えながら話してしまったが、言いたいことはただ1つ。
もしもキミが周りと違うことに悩んでいたとしても、キミはキミのままで、周りと違ってもいいということだ。
HSPであろうとそうでなかろうと、無理に周りに合わせる必要はない。
もっと、自分を大切にして、ありのままで生きていっていいんだ。
そう思ってもらえたら、これ以上にうれしいことはない。
(ちなにみ上の画像は現在発売中のラインスタンプの1つだ。もし気になる方がいればこちらの記事もどうぞ)
長くなってしまったが今回はここまで。
ここまで付き合ってくれて本当にありがとう。
だれかの助けになるような、そんな記事が書けるように努力していきたいと思います。
それではまた。
*1:武田友紀、『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』、飛鳥新社、2018年、P17 参照