人は誰しもが生まれたときに何らかの才能をもらっているんじゃないかと思う。
僕にとってそれは「言葉」であり「かく」ことだという確信がある。
特別文才というわけでも何かの賞を得たとかそういうことではないのだけれど、それでも僕にとっては何にも代えがたい才能なんだろうと感じている。
この「言葉」と「かく」というギフトがなければ僕はここにはいない。
消えてしまいたいと思った夜は数しれず、それでもなぜ僕が未だにこうして存在しているかといえば、一重に先人たちの「言葉」や「かく」ことに救われて来たからだ。
それくらいの力が「言葉」には宿っているし、実際に「かく」ことで何度も自分の心を救ってきた。
これを才能と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
僕はこれまで自分を褒めるということをあまりしてこなかったが、褒めるのには別に誰の許可もいらない。
「この程度で才能」とか、「現実見ろよ」とか割ときつい言葉も浮かんで来るがスルーすることにする。
僕には才能がある。
僕が生まれ落ちたときに得たこのギフトは僕にとっては何にも代えがたい大切なものだ。土砂降りや落雷、突風のような出来事や人物に遭遇しても、辛うじて生き延びられたのは間違いなくこのギフトのおかげだ。
そういう意味では本当に幸運だった。
今まで「才能がない」と勝手に諦めていた。
そうすれば挑戦なんてしなくて済むし失敗もしなくて済むからだ。
そうやって楽に見えた道を選び続けてきたが……そのツケが回って来たのだろう。
生きていく上での希望や光のようなものがぼやけて見えなくなった。
苦しく、自ら暗闇を好んで彷徨っているようだった。そういう自分に酔っていたのかもしれない。
「可哀想な自分」
そうやって全てを諦めていた。
だがふとした時に感じたのだ。
「僕は一生こんなふうに生きていくのか?」
「自分は不幸で可哀想です」と?
嫌だなと思った。
そんな人生は嫌過ぎる。
しかも自らが選んで不幸な人生を送るなんて冗談じゃない。
僕は可哀想ではないし不幸でもない。
今はちょっと豪雨がすごいが、幸せでもある。
なぜなら冒頭でも話したように僕には「ギフト」があるからだ。
不幸の言い訳を探すのはやめて、ギフトがあることを素直に受け入れて、生きていく。
ありがとう自分。
この世に生まれ落ちてくれて。
ありがとう。
理不尽なことに遭遇して疲弊しても生き長らえてくれて。
ありがとう。
そんな僕を救ってくれた先人たち……。
言葉の持つ力は本当に偉大だ。
逃げそうになったり、逃げたりしたら思い出すようにするよ。
僕には素敵な「ギフト」があるってこと。
気が付かせてくれてありがとう。
素敵な一日を。