繊細な僕とセカイ

HSP、ASDとADHDの当事者による肩の力を抜いて生きていくための処方箋のような忘備録。

【ASD ADHD】 家族に適応できなくなった僕

暑くなったり寒くなったり気候も今ひとつ安定しないこの頃。僕の心もまた呼応するように一つの限界を迎えていた。

タイトルの通り。

僕はもう、この家族にこれ以上適応できないーーーー。

初っ端から重たくてすみません。

何せ生まれてから30年近く経ってようやく「この感情」を感じることに対して、自分自身がGOサインを出せた………いや、出さざるを得ないところまで…崖の淵まで追い詰められてようやく本心が零れ落ちたというか………。

石ころなんてもんじゃない………酷く鋭利な……胸の内に仕舞い込んおくにはあまりにも重すぎる感情で…………この感情をようやく外に出してあげることができた。

苦しかったな。

頑張ったな。

もういいよ、お前は十分やった。

ようやくそうやって自分で自分に言ってあげられる気がするんだ。

 

家族のことが嫌いなのかと問われると別に嫌いではない。好きかと問われると……素直には答えられないが………世話になってこの年まで無事に育ててもらって………そのことには頭が上がらないし、これでも感謝の念はあるつもりだ。育ててくれたことに関しては「ありがとう」の一言に尽きる。寧ろ足りないくらいかもしれないが。

 

ではなぜこんなタイトルで書き出しているのか………。

それは現在進行形で「家族」のことを考えると苦しくなるからだ。

小さい頃から自分1人だけ異質な存在だと感じていた。

他の家族が「A」を選ぶのに、僕にはその「A」が選べない。家族と同じができない。

変だよとその都度兄弟に言われた覚えがある。

僕は変な子なんだと素直にバカ正直に受け取った。それがいけないことだと思っていた。

他にも以前の記事でも書いたが、1人だけ食卓の明かりが眩しいと感じたり、温泉で熱湯に浸かれなかったり、桜の花びらを踏めなかったり………(これは今もそのまま)

挙げたらキリがないが、とにかく他の家族と違う部分ばかりの子どもだった。

何が苦しかったのかと言えば、僕にとっては明かりが眩しくて食事どころじゃなかったこと、熱湯が辛かったこと………発達障害の診断を受けた今ならばそれ由来の過敏反応なのだと説明ができるのだが、当時の僕にその知識は当然ない。もちろん両親にも。

だから単なるわがままな子どもだったに違いない。僕がいくら訴えても「我慢しなさい」「私たちは平気だよ」で終わった。

僕の中にあった「辛い」とか「苦しい」はなかったことにされた。

みんな我慢しているのだから。(あなたも我慢しないと)

両親は悪気なくそう言ったのだろうけど、その度に僕は否定された気分になった。

同時に「これは感じてはいけない感情なんだ」と自分を抑圧する癖がつき始めた。

そうして成長するにつれて「我慢」が大前提で、「感じてはいけない感情」だらけになった。

家族が辛いのだから僕も同じでいなくては。

これは苦しくて堪らない。

両親は「好きなことをしろ」と言ってくれたけど、その頃にははっきり言って手遅れで、僕は本当に自分の好きなものがなんなのかすらわからない状態で、ましてや選ぶなんてできなかった。自分が好きで選んだつもりだった部活も今にして思えば両親が好きそうなもの、周りの受けが良さそうなものなどであって、本当に自分がやりたいものではなかった。

 

両親は両親なりに愛情は注いでくれたのだと思う。何処か他人行儀になるのは僕にはそう感じられなかったからだ。

小さい頃から周りと違って同じことができない。怒られる度に

「生まれてきてごめんなさい。この家に生まれてきたのがちがう子だったらよかったのに」

とベッドの中で布団を被りながら何度も何度も思った。

今では単に家族といえど相性が悪かっただけで、僕も含めどちらかだけが悪いということではないと、僕の中ではそう結論づけているのだが、染み付いてしまった思考とは厄介なものでふとした時に、特にメンタルの調子が悪い時なんかに顔を出すからタチが悪い。

 

父が病気で倒れてから、思い出したように僕との幼少期の話をするようになった。

僕が持つ父との記憶はそのほとんどが、怯えているか怒られているかのろくでもないものばかりだったが、父の話を聴いているとどうやらそうではないらしかった。

自分と一緒にうどんや蕎麦をよく食べに行ったこと。

仲のいい親子だねとお店の人に言われたこと。

どんどん先を歩いていってしまって気が気でなかったこと……。

そう語る父の眼差しは僕が知るものとまるで違う。何処か懐かしむような…愛おしそうでもあるような……僕の記憶の中の父とはあまりにも違う人物のようで正直戸惑った。

今となっては父にも怒鳴ったり、怖がらせたりしてしまったことに後悔があるらしく「ごめんな」とよく謝られたりもする。

………もしも、病気で倒れてそのまま……あの世にでも行かれていたら、聞くことはなかっただろう話。いや、これに関しては聞くことができてよかった。あと生き延びてくれてありがとう。

話が少し逸れたが、何が言いたいのかというと父は父なりに愛情を持っていたらしい、ということだ。

だが悲しいことにそれは幼少期の僕に伝わることはなかった。本当に当時はただただ怖いだけだった。

今の父が幼少期の頃にいてくれたらだいぶ違ったのだろう……とは思うのだが………子が完璧でないように親もまた完璧ではない。

ただ互いに知らぬ間に家族だからこそ求めてしまうのかもしれない。

 

子どもはできるのならば親に愛されたいと思うだろう。僕も例外ではなかった。

愛が欲しかったのだろう。

必死に頑張った。

だが「偽りの自分」ばかりがどんどん大きくなって…苦しくなった。

愛されなかったと感じている「本来の自分」が今でも心の中で突然泣き出す。

それでも僕の場合は「愛されていたらしい」と半分以上他人事のような感覚だが、知ることができたのは幸運だった……のかもしれない……とは、思う。

子どもに「愛された感覚」がなく、親も「愛情」を注いでいたはずなのに伝わらない。

これほど悲しい行き違いはないだろう…と思うし、これは僕の家族だけに限った話ではないのだろうな……と思うと切ない気分になる。

 

「愛されていたならそれでいいじゃん!」とか言われて「そうだな!」とか言える気安い性格を生憎僕はしていない。

 

僕は今まで他人と違う自分を悪として、異質な存在として、強く否定し続けて来た。

何かの記事で、発達障害の方がご自身のことを「人間社会で人間に化ける狸のようだった」と表現されているのを目にしてとても深く共感してしまった。僕にも周りと同じ「普通」になれるように必死に擬態し続けている感覚があったからだ。僕だけじゃなかったんだって、ものすごく勇気をもらったのを今でも覚えている。

 

つまり今まで家族と過ごしていた自分は「普通に擬態した自分」であって、「本来の自分」ではなかった。

必要とされていたのは「普通に擬態した自分」であって「本来の自分」は長らく眠ったままの状態だった。

だがあまりにも「擬態した自分」が「本来の自分」と乖離していくものだから、とうとう耐えられなくなってメンタルが壊れた。

今でも家族に必要とされているのは「擬態した自分」だろうと思い込んでしまうくらいには、長い間無、意識に、必死で自分を守るために「偽りの自分」を演じてきてしまった。

 

冒頭で述べた「家族に適応できなくなった」のは「本来の僕」の方だ。

「普通に擬態した僕」は頑張りすぎて壊れた。

家族はそちらを望むかもしれない。望んでいなくても、「本来の自分」が大切にされた記憶がないから怖い。

それが今の僕の正直な感覚。

 

僕にとって家族は安心できるものじゃなかった。

怖かった。

本来の自分が大切にされていなかった。

 

………今まで「家族は仲がいい」ものだったから、感じてはいけない感情だった。

だが一度気づいてしまえば元に戻ることはない。

………戻りたくない。

 

 

僕は僕を大事に、愛していける場所へ。

 

家族には何処か別の場所にで幸せでいてくれたなら…………

 

それが今の僕にできる最良の選択なんじゃないか……と感じている。

 

長々と書いてしまったが、物語ならばほんの始まりに過ぎない。

前に進むために、今まで吐き出せなかった家族への感情に向き合ってみることにした。いや、こんなものをずっと抱えていたらどえらいことになる。

想像よりもはるかに字数が多くて、溜め込むとろくでもないな……と強く実感している。

吐き出し過ぎてキャパオーバーな感じがあるのでこの記事はとりあえずこの辺りで。

 

自分へのエールとして

頑張った過去の自分へのお礼として

 

同じような境遇の方の一歩踏み出す勇気の一欠片になれたなら……

 

拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

疲れ果ててはいませんか?

目を閉じてゆっくりと自分を労ってあげてください。

ありがとうございました。

貴方に幸がありますように。