「ちゃんとしなさい」
子どもの頃、そんな風に言われた記憶がある人も多いんじゃないだろうか。
「ちゃんとする」のが当たり前だと思っていた。「ちゃんとしないと」生きていてはいけない気がしていた。
以前の職場でメンタルクリニックに行くように勧められた時、僕は「自分がちゃんとしていないからだ」と自分のことを非難した。
今にして思えば、勧めてくれた上司は優しかったし良かれと思って勧めてくれたのだともわかる。
それでも当時の僕は「ちゃんとした」レールから外れてしまうような気がして、そんな自分を受け入れきれなかった。
今でも呪いのように「ちゃんとしなくては」と内なら自分が囁いてくる時がある。
だが「ちゃんとしていた」はずだった僕は、疲弊し切って心も身体も動かなくなった。
朝起きられなくなった。
乾いた笑いが喉の奥に張り付いてそれでも「大丈夫」と笑った。
全然大丈夫ではなかったのに「ちゃんとしていなくては」というある種の強迫観念に駆られてそのことに気が付かなかったし、疑問を持つことすらできなかった。
メンタルクリニックに行った後も「まだやれる」と思っていた。
だが実際には特に心がボロボロだった。
周りの人たちができていることがどんどんできなくなった。
たくさん自分のことを責めた。
それから涙が溢れて泣いた。
何者でもない自分を受け入れられなかった。
そうでない自分には価値がないと思い込んでいた。
その当時から何年か過ぎているが、今は「ちゃんと」しなくていい…というか「ちゃんとする」のには限界があると感じるようになった。
「ちゃんとしていた」はずなのに倒れたのだから、仮にそこに舞い戻ったとしても同じことの繰り返し。
或いはもっと悲惨かもしれない。
「ちゃんとしなくては」と思い込んでいたのは自分のせいだと思っていたが、それは少し違った。
遠い遠い記憶を遡ると、過去の子ども時代に両親に言い聞かされた言葉が呪いのように自分の中に植え付けられていたのだと気がついた。
多分両親は「ちゃんと」していないと社会でやっていけないから……子どもの将来を思って……「ちゃんとしなさい」と言ったのだろう。
だが僕は親の想定を遥かに超えて忠実に「ちゃんとしなさい」を実行し続けた。
そうでないと自分に価値がないと思い込んでしまうくらいの恐怖心を抱えながら。
何が言いたいのかというと、「ちゃんとしなくては」というのは、純粋な僕が望んだ姿ではなかったということ。
他人の言葉であって、僕のなりたい姿ではなった。
今過去の「ちゃんとしていた(?)姿」に戻れと言われても無理だし戻りたくない。
あれは本来の僕ではないから。
倒れて起き上がれなくなったとき、自分のことをたくさん責めてしまったが、この「ちゃんとしなくていい」ということに気がつけたのは、僕の人生の中においては青天の霹靂……とも言えるかもしれない。
今もまだぐちゃぐちゃで土砂降りだが……ちゃんとしていない自分も………愛おしい………そうやって自分で自分のことを抱きしめるような……かけがえのない存在だと肯定する瞬間が………ミリ単位くらいで微量ながら増えている……気はする。
たくさん書いてしまったが、君に伝えたいのは「ちゃんと」しなくていいということ。
「ちゃんとしていた(つもり)」のこれまでの自分にもお礼を言っていいということ。
厳しい戦場のような日々を生き抜くのに必要な…悲しい鎧だったのだ………
ありがとう。
「ちゃんと」しない……とは………?
と脳内で議論がなされようとしている……。
そんな自分に少しだけ笑みが溢れた。
忘備録として。
貴方の苦しみを救う手立ての一つになれたのならば。
それほど光栄なことはありません。
ありがとう。